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クービックユーザー
何年か前に参加したことのある禅センターの体験坐禅。今は家で基本坐ってます。
お寺で坐りたくても近くに私の行ける曜日と場所が見つからないので久しぶりに体験だけど参加しました。
やっぱりお寺という空間で坐るのは気持ちがいい。
クービックユーザー
初めて座禅しましたがよかったです
クービックユーザー
①連絡が取りやすいメルアドという事で、スマホのメルアドで登録しましたが、視聴はPCなので、PCにメール転送して視聴してます。PCメールアドも登録出来ると幸甚です。
②講座の質問は、質問時間を待たずに、講義中に送信しても良いのでしょうか。不慣れですので、文字入力に時間がかかってもたもたしてます。
③時々、フリーズしましたが、対処法は有りますでしょうか?
④以下は、講座についての感想です。
東京禅センター 住職講座第1回を拝聴させて頂き、ありがとうございました。
この様な機会を頂き、有難く存じます。お忙しい中、廣田宗玄師には、専門的に詳しく講義して頂き、感謝申上げます。
以前より、本山妙心寺から、「住職必携」「ハンドブック」「宗学概論」その他宗派学、供養・仏事・宗旨の解説本など頒布され、また、教区の住職研修会が定期的に開催され、多岐にわたりご指導ご指南頂きありがたく学習させて頂いて感謝しております。
ひと頃、差別戒名事件で、仏教各宗本山に対して同和団体から糾弾を受け、あの世・霊魂について、密教系は特に天台宗は、「有る」の立場を明言したが、禅宗、浄土真宗は、「無い」と表明。差別戒名、和讃の文言の改定やお経の差別的部分が問題になった。
妙心寺派では無我説だから輪廻する主体の霊魂など無い。六道輪廻は仏教の教えじゃない。との冊子が配布されました。、
この問題につて、今は亡き地元の老和尚に訊ねた時、「わしらでは、分からん。若い人に考えてもらわなあかん。」と言われた。
私の年代は、「黙って言う事を聞いて居ろ。いちいち聞くな、背中を見て学び盗め。」と云われ、「白いものでも先達が黒と言えば黒だ。」という世界でした。
無批判に、何もわからなくても、古来の伝承通り行うことを求められ、そうしてきました。
古来の通り何も分からずやっていれば良いという慣習でしたが、いよいよ、私どもの基礎が怪しくなってきました。
今日、在家は、核家族化で、親子がそれぞれになり、仏事・行事、寺院との付き合い、近所付合いさえ、受け継がれず、何も知りません。葬儀となると、葬儀屋さんの言う通りになってしまします。
反面、若い人は、殆どが大学卒業者で、インターネットもあり、なんでも知っています。合理主義的で、自分たちのスタンスが最優先です。納得できないことは、段々しなくなっていき、、法事さえしなくても良いならしたくない。格安で簡単に済ませたい。と思っています。
私たちが、仏事の意味も十分説明できず、形ばかりの法要では、若い人はついてきません。
私たちは、仏事、法要、供養、霊魂、輪廻、仏教の意味など、本当に分かっているのか?
宗派や、仏教に疑いもなく、自分に本当に腑に落ちもせず、受け売りで分かったような事にしていないか?
初期仏教と大乗仏教の違いも分からず、安穏と葬式仏教していないか?
自分にどうなんだ?と問えば、知らない事、分かったようで分かっていない事ばかり。
悟りにも至らず、大休歇も得られていない、十分に分かっていない凡庸な平僧が、分かったような顔をして葬儀・仏事を行っているのが現状です。
今回の講座などを活用し、常に、点検し、自信と信頼に足る存在でなければならないと思います。
在家さんの疑問や不透明なことに回答でき、納得して仏事、法要をして頂ける意義あるものにしなくてはいけない思います。
戒名は、仏教徒を希望・自覚し、受戒の御利益を期待し、煩悩具足の身を懺悔し受戒して、清浄心と成り、付与される仏教徒としての名前(戒名)。
故人はそれを自分の名前と自覚し、法要の功徳回向の折に、戒名(法名)が呼ばれ、供養をうけることが出来る。
そのように、理解しました。
仏教徒を希望しない人には、受戒も戒名も必要ない、没後作僧も剃髪も必要ない。仏式の葬儀も必要ない。
煩悩のまま好き勝手に生き、喜怒哀楽、面白可笑しく生き、死後は何も無い。生きている時が全て、死んだら仕舞い。そう思っている人には、仏教も戒名も必要ない?。
故人の希望で、戒名、法号がない戸籍名のままの位牌の人もある。法名が有っても無くても追善供養は受けられる。戒名は、何でしょう?雅号?道号?仏道修行の覚悟の名前?
受戒は、清浄心を得させ、仏道修行に向かわせ、成仏に至らしめる入口の儀式。戒名は、仏道修行を覚悟した印の名前ではないのか?。
そのように、感想を持ちました。
第1回目の講座で、廣田宗玄師により、「戒名」について詳しく解説頂き、大変参考になりました。島田裕巳氏の問題提起に対する妙心寺派としてどのような回答なのか?聞きたかったです。
今後の講座に於いても、見解や考え方が諸説あると思います。どのように理解し行うのかはそれぞれの僧侶の境涯によるという事でしょうか?
仏教として、宗門としての基本的見解考え方の提示があれば、幸甚に存じます。
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