匿名のユーザー
色々とわかって前向きに治療して行こうと思いました。
匿名のユーザー
失われた記憶。。。
今日という日は、
トラウマが渦巻く。
解離も伴った。
家でおきていたことは、犯罪だった。
しかしながら、犯罪という意識がない一家だった。
と、知った。
そして、ちょうど仕事で、手を痛めて
整形外科に行って、レントゲンをとった。
結果は、腱鞘炎。
腱鞘炎なんて、もはやどうでもいい。
問題はレントゲン写真だった。
違和感で、自身の手の骨から目が離せなかった。
先生は、「これは古い骨折だから、
今回の痛みには関係ない。
かなり前の骨折だから、今回の痛みの要因ではない」と。
過呼吸になりかけた。
折れて、骨が離れて存在している。
ヒビじゃなくて完全に折れている。
一箇所だけじゃない。
屈折した骨。
昔、母親から、うちの子は骨太だから
骨折もなかったと聞いている。
どうやったら、そこが折れるのか。
どんな体勢で骨折したのか。
匿名のユーザー
私は、今日のトラウマ治療で焦ってしまった。
少々、後悔している。
というのは、
丁寧に慎重に、進むのがいいトラウマスケールの
部分にアクセスしているのに、気持ちが先走った。
トラウマ治療をしようと思った目的が、
親のトラウマを子供に引き継がないということ。
世代間連鎖を断ち切る。
言うならば、私の人生のカルマ(宿命)。
私の子供は、現在7歳。
子供らしい行動が、イライラする。
受け入れてくれない母に子供は、愛して欲しくて
からか、やめてくれと思うくらいに続ける。
私は、子供が苦手で、1人にしてくれと嘆く。
世間に出ても恥ずかしく内容にマナーを叩き込む。
すぐに、大声で怒る親に子供は居場所を失う。
どうせこう言うと察知して、親の攻撃を
回避しようと身構える。
言うことを聞かない。子供もすぐ怒る。
うちの子は、褒めるところがない!なんて。
ランドセルの準備くらい、自分でしなさい。
早く寝なさい。
も〜また。はぁ。何やってんの?なんて。
あからさまに態度に出す。
ある日、うちの子、泣きながら寝てた。
声を出さずに、ポタポタ涙が布団に落ちてた。
泣いてると気づかれないようにしてるとこ、
見ちゃった。
子供が、小さい頃の私に見えた。
我に返って、ごめんねママが悪かった。と、
抱きしめる。
寝る前に、怒られると安心して眠れない。
学校行く前に、時間、時間!
イライラしながら早くしなさいと言われると、
どんより心は沈む。
全部全部、私が子供の時に辛かったことを、
我が子にもして。
必死に育ててる!と私の母は言っていた。
私は、自身の親は苦労しながら子のために働いて、
毎日、仕方なく働いて、何不自由なくして。
親の金で、メシを食わしてもらって。
親に感謝だなんて。
まずは、この毒親を否定すべきが、
大抵の人は否定できない。
正当化され美化され、親になった私は、
自身の親の苦労を知ったと嘆く。
悪いループにハマったら、なかなか抜け出せない。
怒りは、急に沸騰して止まらない。
うちの子は、ママは水が沸騰するみたいに怒る。
それも、突然、沸騰する。って、言われて、
私も子供の時、思った。
こんな私でもトラウマ治療で、祝、親バカになれた。
可愛くて可愛くて。癒しと思える日が来た。
だから、もっとって、今日焦った。
今日のセッションは
はじめに進めていって自力で到着したところが、
トラウマの底から遠かった。
しかも、なかなか次ステージへ進まない。
どうして。と思った。
まるで、トラウマが触れられたくなさそうに拒んでいる。
かのように。
トラウマの蓋を開ける前、開けたあと
通過へと進むさい、恐怖のあまり
気がおかしくなりそうだった。
恐怖に気を取られないように、
底へ底へと進んだ。
この底で終わりと思ったら、
まだ、次のステージがあって、
やっぱり、、、まだ先があった。
果てしない。
まだまだ続く。
え〜ん。え〜ん。えいえん。え〜ん。
この後のコメント、消えた。つらい。
簡潔に言うと、毒親モンスターの母の話をかわした。
投票行かないとってポツリと言うと、
誰がいいか、探りをいれてきた。それから、
猛スピードで政治の愚痴、消費税が上がるかもの愚痴、
物価高の愚痴。私の幼少期は、嫁姑のいざこざの愚痴。
仕事の人の悪口。こんな嫌な人どう思うか、そしてそれにおける対応方法などのアドバイスの強要。
そのほか多岐にわたる。
これを保育所から、ずぅ〜っと聞いている。
もしくは、もっと前から。言葉のわからない時からとか?
その時の声のトーンや顔つきは、一言で言うと怖い。
今朝、私、言いました。
むじゅかちぃ〜はなしは、朝からわかりまちぇん。
私の子供の可愛いところとか。
こんないいところが、あるの見つけたよ〜とか。
こんなこと、がんばってるよ〜とか。
そう言うことしか、お受けできまちぇん。
ってするりとかわしたら、
まさかの最近ママと話する時間がないと孫に嘆いている。
我が子、無言。私、目が点。
まだ、耳は聞き取らなかったけど、うんうんと
言ったのに、最後、自分を肯定されないから、
消化不良を起こしたのでしょう。
愚痴った挙句、もう、こんな時間、
早く!できてるの?急がないと間に合わない!
制服は?髪の毛は?まだ、何も〜の子供に
何してたのと責め立てる。
せっかく朝の手伝いに来たのに、
集団登校が間に合わない!こんなんじゃ無理だよ!って
責め立てる。
これ、この人の間違ってるところ。
散々、愚痴を聞かされ、脳はずっしり重くなり
疲弊しきっている。
体は、ダルおも〜。動けない。
なのに急げ!と、いう。
我が子に、休みだから、車で送っていくよ〜
と言うも、
孫に集団登校に間に合わなかったことを咎める。
我が子、あたふた。
車で送って行ったら余裕で間に合うから、
学校の準備続けようね。その間にママは服を着替えるからね。
まだ、孫を咎めている。
あれ?さっき、車で送るって言わなかったっけ?
って確認した。
はぁ〜呆れた。
でも怒りは出てこなかった。
私の中の人格たち、今の見たかな〜。
母親像のイメージすら想像できないのだけれども。
今の私は、うまく母親できてるのかなぁ〜。
匿名のユーザー
トラウマ治療をやってきて、
できることが、1つ増えた。
誰からも否定されず、義務でもなく、
ただやりたいと思う言葉をみつけた。
みんなが、当たり前のようにしている事でも、
トラウマをもつ人間には、苦痛でしかない。
今回できるようになったことは、
カラオケデビューしたこと。
41才になって、楽しくて3回行った。
今まで、カラオケに行くと、喉が塞がり、
顎が固まった。
頭で思っている音程と口から出る音程が違いすぎて、
耳でひろった音程は、酷かった。
音痴な人間は、何万人に1人と聞いたことがある。
きっと、そうなんだと思って、カラオケに誘われると、
どう断ろうか必死だった。
音楽も、トラウマを引き起こす材料で、とんでもない。
どうしても断れないカラオケで、
必死で練習と思ったけど、
顎が痛くて、喉は15秒くらいで激痛。
翌る日、扁桃炎の高熱を出して、
風邪ひいて声が出ませんと言って、
マイクを隣の人にまわす。セーフとほっとする。
もう、歌は歌わないと思っていた。
子守唄もダンナに歌うなと罵られるありさま。
しかし、私の子守唄で育っても、
私の子供は音痴ではない。
ある日、時間潰しにカラオケに立ち寄った。
歌う訳でもなく、中でニンテンドーSwitchして、
携帯の充電したり、椅子の上でダラダラ過ごした。
子供の発表会の歌をカラオケに入れたら、どうなるか
入力したら、ぴょんひょん跳ねて振り付けも可愛かった。
私は、ニコニコしながら拍手していたら、
ママもってマイクを渡された。
マイクオフで、歌ってぴょんぴょんしたら楽しかった。
その時、顎のロックも喉のつまりもなかった。
頭の中の音程と口から出る音程、
耳でひろう音程が全て一致した。
子供と来たから、緊張しなかったのかと思っていたが、
翌る日、扁桃炎にもなってないし、
胸がスッキリして、ストレス発散になった。
いや〜びっくり。
今日まで頑張っててよかった。
そんな事が嬉しいのかと思う人には、
トラウマがないから。
生活の中で、楽しみを見つけられたことは、
未来を生きる私が想像できる。
また、カラオケ行きたいなって。
私は、1年半前まで、
今、生きるのが苦しい人だった。
匿名のユーザー
過去に他のカウンセリングに行った時は
カウンセラーとの相性に違和感があり
「この人で大丈夫だろうか?」と
1回でやめてしまった事が何度かあります
しかし、こちらでは
「正しく理解してもらえる」
「きちんと寄り添ってもらえる」
という安心感と信頼感を持てました
自分の意思で「ここがいい!」と選んで通っています
ありがとうございます
匿名のユーザー
自分と向き合うことは
つらく、苦しいことですが
こちらのカウンセリングルームでの
カウンセリングは
つらくて苦しいだけではなく、
充実感があります
それがあるので、
次回来れるモチベーションにもなります
カウンセラーさんの的確な対応が
素晴らしいです
ありがとうございます
匿名のユーザー
こちらのカウンセリングルームでは、
「どんな話をしてもいいんだ」
「どんな自分でもいいんだ」
と感じることが出来ます
カウンセラーさんのお人柄と、確かなスキルによるもので、安心して通うことが出来ます
そのおかげで、カウンセリングで大切な自己開示に抵抗感を感じずに話をする事ができ
トラウマ解決のワークに取り組むことが出来ています
普段は自分の本当の話や、深い自己開示が苦手で出来ず、苦しい思いをして生きてきたので
信頼できるカウンセラーさんとの出会いと
安心、安全な場でカウンセリングを受けられる事に感謝しています
匿名のユーザー
知識のあるカウンセラーさんで、しっかり寄り添ってくださり信頼しています。
私の場合は、カリキュラムを組んで、トラウマをケアしてます。数回で終わるものでもないので、時間の許す限り定期的に通う予定です。
匿名のユーザー
今日、久々にカウンセリングに行き、
90%愚痴って笑って
すっきりした。
腹が立つって言う怒りとか、
頭の中の声もスッキリ消えた。
あと10%は、真剣なるトラウマワーク。
モヤモヤが残るままワーク終了し、
その時の人格は誰だか解らない新メンバー。
名前はまだない。
この体で、部屋から出て外にたった。
星もひとつもなくて、雨上がりの
重たい雲が空にあった。
虚しさを感じながら
しばらく空をみあげて、、、。
軽く息をすってはいた。
トラウマから31年たった今日
2024年6月25日
私は、今、生きている。
と、唱えた。
その日の私は
カウンセラーとしゃべくり倒し、
何の成果も得られず、とぼりとぼり帰った
今日のカウンセリング目標は
家でやったワークを見てもらって
方向が外れていたら、なおしてもらう
肝心な日
あろうことか、見せるはずのメモを忘れて行った
昔の私を思い出した
カウンセリングを始めたころの話
何の成果も出ずに帰るなんてしょっちゅう
私は徳島から大阪に通いながら
なんでトラウマワークが始まらないのか
しばしカウンセラーを恨んだ
初日のアンケートで
性的虐待を受けましたか?(はい•いいえ)
鉛筆を持つ右手は止まり
はいに◯をつけなければ何も始まらない
心の声は、大声で私に叫ぶ
喉は詰まり 声は出なかった。
カウンセラーは、
「あなたもそうなのね。」
と、言った。
私は、小さくうなずいた
その次にでる言葉に怯えて心臓は
身体中の血液を呑み込み吐き出した。
初めて人に言った
初めて人に言ってしまった
私は、うなずき性的虐待を認めた
私は、うなずき性的虐待を認めてしまったんだ
胸のつっかえが取れて
ボトボト バタバタ ボトボト バタバタ
泣いている自分にしばらく気づかなかった
カウンセラーは、落ち着いた声で
「あなたの前に予約していた人も、あなたと同じ。
辞めたいという話をしていた」と。それから、
「また、どこかのカウンセリングルームを探して行くか
ここに戻ってくるか。あなたは、どうする?」と。
私は、点々とさまよい、たどり着いたから
もう、行くところがないと伝えて
初めて性的虐待を察してくれた、
このカウンセラーに、安心感を抱いた
何の成果もなく高速バスに乗って帰る
いつも、2千円くらいの小さな花束を買った
黄色とオレンジ色で元気よく咲く花
自分へ、ご褒美
帰りのバスの中では、新しく思い出されるFBを
止める事すらできず、
ただ声を我慢して泣いた。
涙も鼻水もよだれも、何が何だかわからない。
ただ、ハンカチで顔を覆った。
高速バスチケット売り場のお姉さんは、
高速バスに安く乗る方法を教えてくれた。
席は、いつも9Aの窓際。
手際よくチケット発行してくれる。
でも、この状況に不快感が止まらない。
その時は、やっぱりきた。
「何をしに、大阪行ってるの?」って。
いつかくる質問に、どもりながら
「病院」と。
「どっか、わるいの?」
私は、笑いながら人差し指で頭をツンツンし、
「ここですよ〜。ここ。」
と、こたえた。
みじめだった
何も成果が出ないカウンセリング日は、
途方もないどん底に突き落とされた。
次も、その次も、続き、
何度もカウンセリングやめよう決心した。
不完全人間は死ねってことかって
こんなに苦しいなら死んで生まれ変わってって
何度も思った。
私の中にいる凶悪人格。
人殺しもやりかねない。
イメージでトラウマの原因となった人物を
何度も何度も殺した。
それでも、何度も殺しても
私は気持ちが、虚しく辛かった。
殺しても殺しても心の傷が癒えない。
心臓が苦しい、悔しい、私の人生潰しやがって。
虚しい、惨め、、、という感覚は
壁に頭をぶつけないとおさまらない。
この人格は、私
何も進まないカウンセリングで
発見した凶悪人格
名前はダーク
私の中の全人格で彼を迎えに行くと決めた
嫌な事、嫌な記憶も全てダークに押し付け
ダークを見えないフリ
ダークはいないものとして扱い
おまけに箱に詰めて鎖をかけ海の底にしずめて
私は生き延びてきた
カウンセリングに行くことは
いわゆる決意を決めた証
トラウマに立ち向かう私
自分のなかに勇気が存在しているだ
自分を褒めちぎってみる
サイコロ振って 1コマ 前に進んだ日もあれば、
(神様はどこまで、私に試練を与えるのだと)
マイナス2コマの時もある
昨日があった
今日がある
明日はあるのか
生きるのが、嫌になった時に
人間辞めま〜す
って言って、ふてくされて寝た。
あの時の事は、鮮明に覚えている
今は、うける〜と言って笑える
匿名のユーザー
レビューを載せた理由は特にない。
心の整理だと思うと、腑に落ちる。
前回から、解離症状はほぼなくなった。
解離を防ぐ方法も手に入れた。
2つみつけたが誰でも通用するものでもない。
今、試すのが適してない場合もある。
このルームのカウンセラーには伝えたので、
時がくれば、教えてもらうといいと思う。
DIDにとって解離は、体に必要な症状だ。
これを、早く治したくて一生懸命に
なってしまうと、
患者の命に危険性がともなう。
DIDは、選択肢がない。
FBが減っても、解離が減っても危険だ。
生きるか。死ぬか。ゼロか100か。
生きるか死ぬか
何度も選択し、
私は最後に生きることを選んだ。
FBと解離、交代人格に救われ現在がある。
つねに自分はどうなりたいと唱えた。
DIDは、選択肢がない。
覚醒と停止を繰り返す。
覚醒時は、何でもできるスーパーマン。
頭の中は、曇ってない。
周りからみたら、少々攻撃的かもしれない。
停止の時は、体がずっしり重い。
何も出来ない。何もやる気がしない。
家では、布団に倒れ込み一日中寝ている。
洗濯物もたまる。汚れた食器もたまる。
それも何も気にならない。
ただ、体にかかる重力に抵抗できず
立つことができず寝たきり、
目はうつろ、ぼんやりし見えない。
呼吸は肺も膨らまないくらいの最低数量。
グラフでいうとMAXに到達すると
次の瞬間MINIまで急降下する。
ギザギザのグラフが出来上がる。
これは、投薬で調整した。
常に眠くて、ボーとする。
その中で、カウンセリングを進めて、
さらに薬の調整をおこなった。
手探り状態の日々だった。
大阪でカウンセリングを始めた30代。
FBが最悪な状態におちいった。
過去を思い出していくFBが1番つらい。
それを、時系列に並べていく。
毎日、泣いて目が腫れた。
腫れた目はボクサーの試合後のようだった。
カウンセリングをスタートすると、
一度めちゃくちゃ、むちゃくちゃ悪くなるかも。。。
紙に書き留めて行くと、冷静にその恐怖と戦えた。
後から紙を読み返すと何も覚えてなかった。
FBは続き途方にくれる日々。
でも、事柄の時系列を組み立ていくことが出来た時
FBは列車の外の光景として見られた。
私は、分析し体の反応をパターン化した。
解離のタイミング。
交代人格の性質そして食の好みや喋り方。
分析してして自分自身に慣れて、
それを認めたら
虚しくなり死にたくもなった。
解離がなくなるまでに、11年とかかるのか、、、。
それは私の歩みで、ほかの人に同じことが
起きるとは限らない。
今も、悩まされる覚醒と停止。
FBも解離も、交代人格も解決していない。
一年前、今のカウンセラーと出会って
スタート地点にたった。
匿名のユーザー
私は、ずっと解離症状に悩まされている。
いくつものカウンセリングルームを渡り歩いた。
この解離症状の感覚は、2歳でもあったと言うと、
全てのカウンセラーは、何を言ってるのと返す。
確か、1冊の本で、2歳で解離症状と似た症状の子どもが
いた。と、読んだ事がある。
おそらく、2歳なんて物心つく前の段階でありえないという事なんでしょう。
今回の相談で2歳のつらい場面に立ち向かった。
FBで、悲しい感情の最後に出てくる光景だ。
そこには、何の意味もなく。何の感情もなく。
ただただ、花の前で座って、母親を待っていた。
この記憶がFBの最も古い記憶で、
最後の底にたどり着いたと思い込んでいた。
違っていた。
その先に、祖母から信じられないほどの苦痛、痛み、悲しみ、不安の虐待を受けていた。
例えるなら、江戸時代の拷問といった感じだ。
FBに悩まされている人は、FBによって
命かながら生きられている。
解離に悩まされている人は、解離によって
命かながら生きられている。
FBと解離によってトラウマ箱は閉ざされ、
守っている。
トラウマの箱が開くと一気に苦しみに襲われる。
次の日も少しFBがでて、しんどいが、
でも、体と希望を手に入れました。
1年かけてたどり着いたのがこれで、
記憶の中にないことだった。
私は、2歳で希望を捨てていた。
匿名のユーザー
母である私も解離性同一障害。娘も、解離性同一障害。
私の治療だけでも辛いのに娘までと思ったら、また絶望の暗闇に落ちてしまいそうだった。
だけど、子供は、どんどん溢れかえる感情を私にぶつけてくる。今回の主な相談理由はこれだった。
今は、私がしてもらえなかったこと、大人になってからSOSをどこに発信したらいいかという知恵で、娘を加害者から、引き剥がし保護することにほぼ成功。
昨日、滑り台から降りてきた娘を下で捕まえた時、膝が顔の顎にあたり涙ぐみ怒り出した。
帰る車の中で、怒った理由を聞き涙を流した娘を、やっと泣けたね。怒ってばかりの娘が泣けたことに、泣きたかったのに泣かなかったんだねというと、涙が止まらなくなった。後部座席に移って、子供を泣けたね、辛かったね、車の中は2人だけだから、どんなに大声でないてもいいんだよというと、感情の蓋が空いてドバーっと溢れ出す涙。
時間がどんなにかかっても待つから泣いていいよとゆっくり時間をかけた。すると、お腹の中から、悲しみの震えがでてきて、スッキリしたという娘。
今朝、ぼんやりがなくなってきたと聞き、
この上なき幸せを感じました。