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匿名のユーザー
匿名のユーザー
(展覧会の一部を)限られた人たちと鑑賞するという特別なイベントに参加できて、感激でした。独特な世界で、貴重な体験でした。ありがとうございました。
匿名のユーザー
音楽なり音を聴くは、古来から繰り広げられ、その要請に応えてか、意識と感覚の総動員の集約による連続を駆使し、様々な場や機会で、つくられ演奏され、聴かされてきた。感覚や意識は、果たしてどれだけどの様に向上しどれだけどの様に更新され拡張されてきたのか。記録媒体の発展に伴って、音楽は世界中を席巻し続けてきたし、それは、政治的にも望まれ大衆を組み立て誘導し手懐ける意味でも、とても有効に受け止められてきたに違いない。最先端の科学であればあるほど、テクノロジーを駆使した音楽であればあるほど、よりプリミティブやスピリチュアルへとシフトしてきている感を強く感じるのは何故なのか。今回の公演の場も、洞窟壁画の制作現場の様に、閉じた空間で音を奏で響かせていた。ブラウスだろう白さから伸ばされた長い腕に装着された手が、ドラムスティックを叩き下し続け、それに同調するかしないか、気分や意識に従った選択の摘みが奏でる電子音が重なっていく。向き合う際にズレる椅子を動かす度に、床と椅子の足の接触が反発しあい、その音の重なりに介入してくる。ケージやビートルズ等が、音楽を拡張と展開を促したものの、それはデュシャンが意味を否定した(ふり)をした様に、その「先」や「奥」が最早空虚であるかと云わんばかりに、技術や選択のバリエーションに留まり、且つ、受け手さえ、その留まりに落ち着く事を望み、寧ろその両者の関係性が音楽に留まらない文化芸術の状況を、意識的以上に無自覚的に組み立てている。ドラムスティック捌きに感心はした今回の公演ではあるが、上記の理由や状況も加わってか、良い演奏だったと思うと同時に、何処か既聴感は否めない。と云うより、既聴感からは外れたくはなさそうにも思える。だからこそ、演奏の機会が得られているのだろうとも思える。私は、芸術は何かやそれを芸術と如何に誰が何故認識するか、その認識を如何に誰が証明し、その証明を如何に何処まで波及し、その波及が、意識や認識若しくは感覚に至り、習慣や態度に迄を、如何にどの様に促すのかに関心があるが、どうやら文化芸術と云う箱は既に固定されているかのように(多分そうではないと、反論がありそうにも思える)みえてもしまう。その箱の中に何を入れるか、その采配をギャラリーが担っている筈ではあるが、多分、その意思なのか、権威なのか、なさそうにさえみえてしまう。と云うより、市場に反映される今日の空気感に促され選択がなされ、その選択の顕在化が、文化芸術を齎しているのだろう。よって、個人の主体性や意思による自己探求の結晶の行為の連続の展開や受容を、如何に長期的に風土や関係性や状況を超え、認識を刷新至らせ得るか、その課題へと歩行を進ませではいないのだろう。その意味で、屡々耳や目にする文脈やコンテキストは、制作や展示や行為や公開と云う意味では望まれ、組み立てられるとしても、歴史や歴史認識や認識自体へとコミットメントする文脈は、見出されないままなのだろうと思える。音楽を文化芸術を壊し、揺さぶり、新たにつくるは、公的資金の投入や企業からの場や資金の提供、マスコミや広告代理店や行政の町興し村興しの効果期待関与の機会を逃す事になるので、避けたいのだろう。況して、鑑賞や収集(蒐集)は、より関心の棲み分けや癒しや解放へと目的が集約していそうで、市場はもしかしたら発展展開するかもしれないけれど、新たな何かを注ぎ介入さそ、意識や認識を刷新や更新や拡張や深化へと促す意味での展開は難しく望まれてもいないのだろうと思えます。と云う意味でも、紛れもなく音楽だった。アラン・カプローがどの機会や状況で、蓮沼氏が取り上げた一文を、どんな文面で述べたのかは知りませんが、保つべきと云うより、分離し得るものではないし、不明瞭に保つと云うより、不明瞭のまま。芸術と人生は、二項対立ではない。人生と芸術は微塵も関係ないとは云え、実人生の過程からある集約の段階や断片や過程や要素が、芸術へと集約し至るのであって、況して、その行為や制作の当事者が、芸術を定義していく以上に、その受容をするであろう他者との接触や遭遇が、芸術を定義し認知するのであって、当事者自らが、人生も芸術も、冷静に捉えていないし、寧ろ、かなり密着し埋没さえしている。音楽の「制度」や「境界」を抽象化するとは果たして何の事か。抽象化する意味や意図や目的とは何か。果たして、制度も境界も実感を伴って、認識され得ているのだろうか。多分、展示と公演は接続やリンクして相互で、展開してきたのだろうとは勿論用容易に推察し得る。ただ、公演場所は勿論、同じ戸田ビルディングの同じ敷地内ではあったが、多少の距離が望まずとも、展示とはあった。難しいだろうが、展示会場での公演や椅子を用意せず、演奏を動きながらする、或いは、楽器などを、敷地内に点在させて寧ろより距離を内包させて、それを移動しながら視聴体験をする等であれば、展示との距離が気にならなかったかもしれない。今此処を聞く、若しくは聴く。どっち道、今も此処も、常に不明瞭。音楽も芸術自体、この不明瞭から何に如何に気付くか、その対峙やその機会に違いない。
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