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【オンライン】寄付講座「知恵の庭」第2シーズン第3回「近現代美術の中の仏教的主題」(君島彩子)
寄付講座「知恵(スキエンティア)の庭〜人文学の最前線〜」
ラテン語で「知恵」「知識」などを表すscientia(スキエンティア/シエンツィア)は、英語のscience(サイエンス)の元となった言葉です。science(サイエンス)は「科学」と日本語訳され、現在では主に自然科学を指す言葉として使われていますが、元々は学問全般を指す言葉です。連続講義「知恵(スキエンティア)の庭〜人文学の最前線〜」は、若手・中堅研究者による先端的な研究がクロスオーバーする場として企画されました。
本寄附講座は、人文学の「知恵」を未来につなぐために、若手研究者の発表の場を作りたい、という上七軒文庫の志に賛同してくださった小野嶋祥雄氏のご寄付により開講されます。本講座では、発表の機会に乏しい若手研究者とともに、今まさに研究の最前線を切り拓いている研究者にもご登壇いただき、多くの方々に人文学の面白さを知っていただく機会となればと思っています。
本寄付講座は無料となっておりますが、参加人数把握などのため、本ページからのご予約をお願いいたします。
第2シーズン・第3回(2021年6月13日(日))
「近現代美術の中の仏教的主題」
講師:君島彩子(独立行政法人日本学術振興会特別研究員)
本講義は、通常の講義と異なり、Zoomでの開催となります。ご予約いただいた方に、参加用のアドレスを配信いたします。
ご予約いただいた方に、講義当日、配布資料をダウンロードするためのアドレスを配信いたします。
本講義のアーカイブ動画は、ニコニコチャンネル「上七軒文庫チャンネル」における会員限定公開のみとなります。アーカイブの無料公開はいたしませんので、ご注意ください。
講義概要
今回の講義では、前近代から信仰の対象であった仏像や仏画が明治維新以降どのように変化したのか、さらに現代美術にどのように接続しているのか、実際の作品をあげながら講義いたします。

主催:古典文化研究会
共催:上七軒文庫合同会社
【オンライン講義】『五輪九字明秘密釈』を読む 第12回
※こちらはオンライン講義のご案内となります。

概要
 院政期を代表する真言密教僧、覚鑁(1095~1144)には既にまとまった研究がいくつも存在するが、それらは等しくある研究課題を克服できないままと考える。日本仏教史であれ真言密教史であれ、従来の研究は常に覚鑁を一つないし複数の思想潮流の「中途」に位置付け、その観点からしか同僧とその思想の意義を分析してこなかった。
 具体例をいくつか挙げておくと、覚鑁は空海没後、荒廃の極みにあった高野山と真言教学を「復興」し、後の真言宗隆盛の礎を作ったと先ず主張される。あるいは鎌倉中期の頼瑜(1226~1304)に先んじて、後の新義真言教学の基礎を樹立したともいわれる。さらに平安「旧」仏教から鎌倉「新」仏教への転換期に生き、それらの橋渡し役となる、法然や親鸞にとっての先駆の役割を果たしたと説かれることもある。今日の古義と新義の両真言宗、あるいは鎌倉「新」仏教を目的地とする道程の途中に、覚鑁のための場が設けられてきた。
 フランスの哲学者であるルイ・アルチュセール(1918~1990)の言葉を借りれば、覚鑁は常に「目的地」を想定し「前未来形」で書かれる歴史の中で解釈され、その外に出ることは稀であった。このような「目的論的」(teleological)な理解から覚鑁とその言葉を解放し、同僧の思想の全体性・体系性を回復することこそが、本講義の最終的な目標である。
 具体的には平安末期の日本仏教界と真言密教の状況を細かく把握した上で、覚鑁の主著ともいわれる『五輪九字明秘密釈』の読解を試みる。『五輪九字明秘密釈』は、非常に複雑な構造を有す文献でありながら、例えばその「密教浄土教」的な主張ばかり強調される等、総体として本書を読む試みはほとんどなされてこなかった。本講義では、まさにこの『五輪九字明秘密釈』を総体として読み、その中に隠された体系を解明すると共に、覚鑁の言葉や思考を規定していただろう深層の「規範」(paradigm)についても分析したい。

担当講師
亀山隆彦(龍谷大学非常勤講師、京都大学研究員)

参考文献
那須政隆『五輪九字秘釈の研究』(『那須政隆著作集』4巻所収、1997年、法藏館)
Hendrik van der Veere, A Study into the Thought of Kogyo Daishi Kakuban: With a Translation of His Gorin Kuji Myo Himitsushaku (2000年、Hotei Publishing)
勝又俊教『興教大師の生涯と思想』(1992年、山喜房仏書林)
櫛田良洪『覚鑁の研究』(1978年、吉川弘文館)
櫛田良洪『真言密教成立過程の研究』(1964年、山喜房仏書林)
松崎惠水『平安密教の研究 : 興教大師覚鑁を中心として』(2002年、吉川弘文館)
苫米地誠一『平安期の真言教学と密教浄土教』(『平安期真言密教の研究』第2部、2008年、ノンブル社)
藤井佐美『真言系唱導説話の研究:付・翻刻 仁和寺所蔵『真言宗打聞集』(2008年、三弥井書店)
ルイ・アルチュセール著/河野健二、田村俶、西川長夫訳『マルクスのために』(平凡社ライブラリー61、1994年、平凡社)
今村仁司『アルチュセール全哲学』(講談社学術文庫1839、2007年、講談社)
今村仁司『アルチュセールの思想:歴史と認識』(講談社学術文庫1089、1993年、講談社)
【オンライン講義】生成と多重視点の仏教学:「論争」から考える日本仏教の思想 第二十二回(近世編7)
※ こちらはオンライン講義のご案内となります。

シリーズの概要
 このシリーズ講義を通じて、様々な「視点」(パースペクティブ)とその切り替えを鍵に、日本仏教の思想について考えてみたいと思います。
 例えば真言密教と空海、専修念仏と法然などが分かりやすいですが、我々はしばしば、個別の仏教思想と僧個人の密接な繋がりを前提に仏教の歴史を考えます。しかし、それこそ真言密教を空海の思索や内面の産物とするように、それぞれの思想を個々の僧に還元してよいか疑問は尽きません。
 それは、決して歴史的な「視点」ではなく、むしろ近代の我々が考案した思想史の「視点」なのではないでしょうか?詳しくは講義内で紹介しますが、そのような我々の近代の「視点」を打ち砕く歴史的な物証は、既に多数発見されています。
 したがって、むしろ次のように考えるべきかも知れません。
 奈良・平安から江戸・明治までの日本仏教の歴史をふりかえるに、それまでにない斬新な仏教理解が登場する背景として、常に僧達の「多重視点」(マルチ・ペースペクティブ)が存在しました。その「多重視点」の交差から、真言密教も、天台本覚思想も、専修念仏も、純粋禅も生成してきました。
(あるいは、我々の「多重視点」も交差し、新たな仏教の理解を生成し続けているのかも知れません。)
 僧達の「多重視点」がもっとも鮮明に観察できる事象がなにかといえば、彼らの間の「論義」「談義」、広義の「論争」でしょう。インドや中国、チベットと同じく、日本の仏教にも長い論争の歴史があります。それは奈良から平安時代の初めにかけて輸入された「空有の諍論」に始まり、中世の諸宗の組織的で洗練された論義の伝統、そして近世のキリスト教を対象とする異端論争へつながっていきます。
 本講義では、上に述べた「視点」や「多重視点」をキーワードに日本仏教の論争の歴史を概観し、その思想の生成の局面についてお話します。

講義の概要
 シリーズ講義のポイントとなる日本仏教史上の論争を紹介しておくと、次の通りです。
  ①奈良末から平安初期にかけての教学論争「諍論」(徳一、空海、最澄、安然が関わった論争)
  ②鎌倉~南北朝期の問答「論義」
  ③室町~江戸期の諸宗教の論争「宗論」(キリスト教を相手とする論争等)
 第1回からここまでの講義を通じて、①と②、および③の一部についてお話してまいりました。
 第21回の講義では、③の中でも、特に江戸時代の真言宗における論争と知的営みについてお話したいと思います。
 江戸時代の初~中期の真言宗では、緻密な文献の読解に基づいて新たな教理解釈を展開した「自由学派」と呼ばれる僧達のグループが、大きな影響力を持ったといわれます。
 本講義では、その「自由学派」の中心人物と呼ばれる真言僧、曇寂(1674~1742)の活動に注目し、この時代の真言宗の文献学と教理解釈学、それらを支える批判精神の実態がいかなるものか、その影響力も含めて考察を試みます。
 それら一連の考察を通じて、江戸時代の学問僧達の知的レベルの高さをお伝えしたいとも考えています。

担当講師
亀山隆彦(龍谷大学非常勤講師、京都大学研究員)

参考図書
春日直樹編『現実批判の人類学―新世代のエスノグラフィへ』(世界思想社、2011年)
楠淳證『貞慶撰『唯識論尋思鈔』の研究』(法蔵館、2019年)
楠淳證他編『日本仏教と論議(龍谷大学アジア仏教文化研究叢書)』(法蔵館、2020年)
末木文美士『日本仏教史 思想史としてのアプローチ』 (新潮文庫、1996年)
智山勧学会編『論義の研究』(青史出版、2000年)
蓑輪顕量『日本仏教の教理形成―法会における唱導と論義の研究』(大蔵出版、2009年)
師茂樹『論理と歴史 東アジア仏教論理学の形成と展開』(ナカニシヤ出版、2015年)
エドゥアルド・ヴィヴェイロス・デ・カストロ『食人の形而上学: ポスト構造主義的人類学への道』(洛北出版、2015年)
マリリン・ストラザーン『部分的つながり』(叢書人類学の転回、水声社、2015年)
マルティン・レップ編『問答と論争の仏教―宗教的コミュニケーションの射程』(法蔵館、2012年)
【オンライン講義】『五輪九字明秘密釈』を読む 第12回
※こちらはオンライン講義のご案内となります。

概要
 院政期を代表する真言密教僧、覚鑁(1095~1144)には既にまとまった研究がいくつも存在するが、それらは等しくある研究課題を克服できないままと考える。日本仏教史であれ真言密教史であれ、従来の研究は常に覚鑁を一つないし複数の思想潮流の「中途」に位置付け、その観点からしか同僧とその思想の意義を分析してこなかった。
 具体例をいくつか挙げておくと、覚鑁は空海没後、荒廃の極みにあった高野山と真言教学を「復興」し、後の真言宗隆盛の礎を作ったと先ず主張される。あるいは鎌倉中期の頼瑜(1226~1304)に先んじて、後の新義真言教学の基礎を樹立したともいわれる。さらに平安「旧」仏教から鎌倉「新」仏教への転換期に生き、それらの橋渡し役となる、法然や親鸞にとっての先駆の役割を果たしたと説かれることもある。今日の古義と新義の両真言宗、あるいは鎌倉「新」仏教を目的地とする道程の途中に、覚鑁のための場が設けられてきた。
 フランスの哲学者であるルイ・アルチュセール(1918~1990)の言葉を借りれば、覚鑁は常に「目的地」を想定し「前未来形」で書かれる歴史の中で解釈され、その外に出ることは稀であった。このような「目的論的」(teleological)な理解から覚鑁とその言葉を解放し、同僧の思想の全体性・体系性を回復することこそが、本講義の最終的な目標である。
 具体的には平安末期の日本仏教界と真言密教の状況を細かく把握した上で、覚鑁の主著ともいわれる『五輪九字明秘密釈』の読解を試みる。『五輪九字明秘密釈』は、非常に複雑な構造を有す文献でありながら、例えばその「密教浄土教」的な主張ばかり強調される等、総体として本書を読む試みはほとんどなされてこなかった。本講義では、まさにこの『五輪九字明秘密釈』を総体として読み、その中に隠された体系を解明すると共に、覚鑁の言葉や思考を規定していただろう深層の「規範」(paradigm)についても分析したい。

担当講師
亀山隆彦(龍谷大学非常勤講師、京都大学研究員)

参考文献
那須政隆『五輪九字秘釈の研究』(『那須政隆著作集』4巻所収、1997年、法藏館)
Hendrik van der Veere, A Study into the Thought of Kogyo Daishi Kakuban: With a Translation of His Gorin Kuji Myo Himitsushaku (2000年、Hotei Publishing)
勝又俊教『興教大師の生涯と思想』(1992年、山喜房仏書林)
櫛田良洪『覚鑁の研究』(1978年、吉川弘文館)
櫛田良洪『真言密教成立過程の研究』(1964年、山喜房仏書林)
松崎惠水『平安密教の研究 : 興教大師覚鑁を中心として』(2002年、吉川弘文館)
苫米地誠一『平安期の真言教学と密教浄土教』(『平安期真言密教の研究』第2部、2008年、ノンブル社)
藤井佐美『真言系唱導説話の研究:付・翻刻 仁和寺所蔵『真言宗打聞集』(2008年、三弥井書店)
ルイ・アルチュセール著/河野健二、田村俶、西川長夫訳『マルクスのために』(平凡社ライブラリー61、1994年、平凡社)
今村仁司『アルチュセール全哲学』(講談社学術文庫1839、2007年、講談社)
今村仁司『アルチュセールの思想:歴史と認識』(講談社学術文庫1089、1993年、講談社)
【オンライン講義】『五輪九字明秘密釈』を読む 第13回
※こちらはオンライン講義のご案内となります。

概要
 院政期を代表する真言密教僧、覚鑁(1095~1144)には既にまとまった研究がいくつも存在するが、それらは等しくある研究課題を克服できないままと考える。日本仏教史であれ真言密教史であれ、従来の研究は常に覚鑁を一つないし複数の思想潮流の「中途」に位置付け、その観点からしか同僧とその思想の意義を分析してこなかった。
 具体例をいくつか挙げておくと、覚鑁は空海没後、荒廃の極みにあった高野山と真言教学を「復興」し、後の真言宗隆盛の礎を作ったと先ず主張される。あるいは鎌倉中期の頼瑜(1226~1304)に先んじて、後の新義真言教学の基礎を樹立したともいわれる。さらに平安「旧」仏教から鎌倉「新」仏教への転換期に生き、それらの橋渡し役となる、法然や親鸞にとっての先駆の役割を果たしたと説かれることもある。今日の古義と新義の両真言宗、あるいは鎌倉「新」仏教を目的地とする道程の途中に、覚鑁のための場が設けられてきた。
 フランスの哲学者であるルイ・アルチュセール(1918~1990)の言葉を借りれば、覚鑁は常に「目的地」を想定し「前未来形」で書かれる歴史の中で解釈され、その外に出ることは稀であった。このような「目的論的」(teleological)な理解から覚鑁とその言葉を解放し、同僧の思想の全体性・体系性を回復することこそが、本講義の最終的な目標である。
 具体的には平安末期の日本仏教界と真言密教の状況を細かく把握した上で、覚鑁の主著ともいわれる『五輪九字明秘密釈』の読解を試みる。『五輪九字明秘密釈』は、非常に複雑な構造を有す文献でありながら、例えばその「密教浄土教」的な主張ばかり強調される等、総体として本書を読む試みはほとんどなされてこなかった。本講義では、まさにこの『五輪九字明秘密釈』を総体として読み、その中に隠された体系を解明すると共に、覚鑁の言葉や思考を規定していただろう深層の「規範」(paradigm)についても分析したい。

担当講師
亀山隆彦(龍谷大学非常勤講師、京都大学研究員)

参考文献
那須政隆『五輪九字秘釈の研究』(『那須政隆著作集』4巻所収、1997年、法藏館)
Hendrik van der Veere, A Study into the Thought of Kogyo Daishi Kakuban: With a Translation of His Gorin Kuji Myo Himitsushaku (2000年、Hotei Publishing)
勝又俊教『興教大師の生涯と思想』(1992年、山喜房仏書林)
櫛田良洪『覚鑁の研究』(1978年、吉川弘文館)
櫛田良洪『真言密教成立過程の研究』(1964年、山喜房仏書林)
松崎惠水『平安密教の研究 : 興教大師覚鑁を中心として』(2002年、吉川弘文館)
苫米地誠一『平安期の真言教学と密教浄土教』(『平安期真言密教の研究』第2部、2008年、ノンブル社)
藤井佐美『真言系唱導説話の研究:付・翻刻 仁和寺所蔵『真言宗打聞集』(2008年、三弥井書店)
ルイ・アルチュセール著/河野健二、田村俶、西川長夫訳『マルクスのために』(平凡社ライブラリー61、1994年、平凡社)
今村仁司『アルチュセール全哲学』(講談社学術文庫1839、2007年、講談社)
今村仁司『アルチュセールの思想:歴史と認識』(講談社学術文庫1089、1993年、講談社)
【オンライン講義】“空有の論争”とは何か(生成と多重視点の仏教学 特別講義)
※ こちらはオンライン講義のご案内となります。対面講義の予約はこちら(8月14日分、8月28日分 )をごらんください。
概要
7世紀後半にインドを旅した義浄『南海寄帰内法伝』によれば、インドの大乗仏教には「中観」と「瑜伽」という二つの学派があったという。前者は、ナーガールジュナ(龍樹、2〜3世紀)の『根本中頌(中論)』で確立された空の理論を重視する学派であり、6世紀頃に活躍しバーヴィヴェーカ(清弁)が「中観派」を自称するようになる。一方後者は、「ヨーガを実践する人々」(ヨーガチャーラ)とよばれた人々が、空の理論や経量部の学説などを取り入れ、アーラヤ識説や三性説をはじめとする理論体系を構築した学派である。瑜伽行派、瑜伽行唯識派などと言われている。
両派のあいだでは、空の理解について違いがあったため、「有空諍論」「空有の論争」「無と有との対論」などとよばれる論争があったと言われている。実際、両派の著作には、お互いを批判するような言説が見られる。しかし、玄奘の『大唐西域記』などでは、論争がなかったかのような記事も見られる。玄奘の弟子たちの著作のなかでは、バーヴィヴェーカを強く批判する者がいる一方、両者のあいだには論争はなかった、という者もおり、様々な議論が展開された。
日本に仏教が伝わり、奈良時代になると、ナーガールジュナの著作にもとづく三論宗と、瑜伽行唯識派の流れをくむ法相宗のあいだで様々な対立が起きた。中国ではじまった三論宗においてバーヴィヴェーカの著作が研究されることはなかったが、日本の三論宗はバーヴィヴェーカの著作を自宗のものとして受け入れ、法相宗とのあいだでインド以来の議論を繰り返すような論争が行われた。
本講義では、インドから日本に至る「空有の論争」について、その連続性と断絶とを意識しながら、解説したい。
インド〜中国・朝鮮半島編(8月14日)
日本編(8月28日)
講師
師 茂樹
参考文献
山口益『佛教における無と有との對論』(修訂版、山喜房佛書林、1964年)
江島恵教『中観思想の展開: Bhāvaviveka研究』(春秋社、1980年)
師茂樹『論理と歴史:東アジア仏教論理学の形成と展開』(ナカニシヤ出版、2015年)
書評チャンネルでも紹介しています(前編[無料] 、後編[有料会員のみ])。
「生成と多重視点の仏教学」とは
このシリーズ講義では、様々な「視点」(パースペクティブ)とその切り替えを鍵に、日本仏教(および東アジア仏教)の思想について考えてみたいと思います。
例えば真言密教と空海、専修念仏と法然などが分かりやすいですが、我々はしばしば、個別の仏教思想と僧個人の密接な繋がりを前提に仏教の歴史を考えます。しかし、それこそ真言密教を空海の思索や内面の産物とするように、それぞれの思想を個々の僧に還元してよいか疑問は尽きません。
それは、決して歴史的な「視点」ではなく、むしろ近代の我々が考案した思想史の「視点」なのではないでしょうか?詳しくは講義内で紹介しますが、そのような我々の近代の「視点」を打ち砕く歴史的な物証は、既に多数発見されています。
したがって、むしろ次のように考えるべきかも知れません。
奈良・平安から江戸・明治までの日本仏教の歴史をふりかえるに、それまでにない斬新な仏教理解が登場する背景として、常に僧達の「多重視点」(マルチ・ペースペクティブ)が存在しました。その「多重視点」の交差から、真言密教も、天台本覚思想も、専修念仏も、純粋禅も生成してきました。
(あるいは、我々の「多重視点」も交差し、新たな仏教の理解を生成し続けているのかも知れません。)
僧達の「多重視点」がもっとも鮮明に観察できる事象がなにかといえば、彼らの間の「論義」「談義」、広義の「論争」でしょう。インドや中国、チベットと同じく、日本の仏教にも長い論争の歴史があります。それは奈良から平安時代の初めにかけて輸入された「空有の諍論」に始まり、中世の諸宗の組織的で洗練された論義の伝統、そして近世のキリスト教を対象とする異端論争へつながっていきます。
この講義では、上に述べた「視点」や「多重視点」をキーワードに仏教の論争の歴史を概観し、その思想の生成の局面についてお話します。

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