ウズベキスタンに咲く「追悼の桜」

2016年4月14日

【 ウズベキスタンでの強制労働で、日本人が残したもの 】



大東亜戦争終結後、ソ連によりシベリア抑留が実行されました。

60万人以上の日本兵が極寒の地で強制労働を課せられ、

その10分の1以上の方が帰国の想い叶わず、帰らぬ人となりました。


ウズベキスタンでも約25,000人の日本人が

道路・工場・運河・発電所・公共施設等、

建国間もないソ連の社会基盤の建設に従事しました。



1966年、ウズベキスタンは震度8を越える大地震に見舞われ、

市内の建物の2/3が倒壊しました。

その中で、日本人が建設したナヴォイ劇場は全くの無傷で

瓦礫の山の中で凛然と建ち、避難所として人々を守ったのです。


わずか2年の間に813人の方が命を落とすような熾烈な環境に置かれても、

「今日も良い仕事をしようじゃないか」と、声を掛け合った日本人の誠実さの証でした。



ナヴォイ劇場の壁にはもともと「日本人捕虜が建てたものである」と書かれていたと言います。

1990年に大統領に就任し、ソ連からの独立を果たしたカリモフ氏は

「ウズベクは日本と戦争をしたことがないし、ウズベクが日本人を捕虜にしたこともない」と

プレートを作り変えさせました。


現在は、このように記されています。


「1945年から1946年にかけて極東から強制移送された数百名の日本国民が、

このアリシェル・ナヴォーイ名称劇場の建設に参加し、その完成に貢献した。」



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【 国を挙げて日本人墓地を整備してくれたカザフスタンの人々と鎮魂の桜 】



2000年。当時、在ウズベキスタン大使であった中山恭子さんは

仲間のお墓参りに来たという老人からこう頼まれます。


「自分達が作った水力発電所は今も立派に動いている。

だが、荒れ果てた日本人墓地を見てとても悲しくなった。

なんとか、日本人のお墓を整備してもらえないだろうか」



その当時のベガバードの日本人墓地は、何もない枯れ野原に

人が横たわった大きさの盛り土が幾筋も並ぶだけのものでした。

墓標もなく、頭のあたりに挿された鉄板に記号と6桁の「捕虜番号」が刻まれたのみ。

中山大使はすぐに、夫である中山成彬氏と共に整備に取り掛かりました。



遺族の意志を確認していく中に

「父の遺骨をどうしても日本に持って戻りたい」という人があり、現状を見に来られました。

その方のお父様が眠るコカンド市の墓地には、地元の人々が赤い鳥居を立ててくれていました。

その方は墓地を訪問した後、中山大使にこう語ったそうです。


「ウズベキスタンまで来て本当に良かった。

父はここで眠るのが一番幸せだと思いました。

お墓を訪ねたら大層綺麗で、お花が飾られ、箒の目まで立っていた。

周りにいたウズベキスタンの人々に話を聞いたら、みんなが

『ここで働いていた人達は本当に優れた人達だった。尊敬している。

だからお墓を守っている』と話してくれた。

父が、みんなに、こんなにまで温かく見守られているとは思ってもいませんでした。

父の遺骨を日本に持って帰るために、兄弟で少しずつ貯金をしてきました。

でも、日本に帰ったら、兄弟達にきちんと話をして納得してもらいます。

父はきっと、ここで仲間達と一緒に眠るのが一番幸せなのだろう、と感じたからです。

貯めてきたお金は代わる代わるお墓参りに来るのに使いたいと思います。」



その後、中山ご夫妻が中心となって約2,000万円の寄付金が集まりました。

ウズベキスタン政府に日本人墓地の整備をしたいと願い出ると

スルタノフ首相からすぐに返事が返って来ました。


「ウズベキスタンで亡くなった方のお墓なのだから

日本人墓地の整備は、日本との友好関係の証としてウズベキスタン政府が責任を持って行う。

これまで出来ていなかったことは大変恥ずかしい。

さっそく整備作業に取り掛かります。」



その言葉通り、日本人墓地のある9つの地域で

住民達がボランティアで丁寧な整備を行ってくださいました。

2002年春には全ての墓地整備が完了し、白い墓石が並び

いつでもお線香をあげてお参りできるようになったのです。

それぞれの墓地に「鎮魂の碑」、4つの市に「抑留者記念碑」も建立されました。

各地の除幕式では日本酒が捧げられ、涙ながらに「ふるさと」の歌が唱和されたと言います。



鎮魂の碑や抑留者記念碑の費用は日本で集まった募金で賄われましたが、

実際の作業に掛かった費用をウズベキスタン政府は

「本来、自分達がやるべきことだから」と、一切受け取らなかったそうです。

それではと、残った募金は日本人墓地のある地域の学校に

日本製のコンピュータを寄贈することに使われ、大変喜ばれました。


さらに、遠い異国に骨を埋めた誇り高き先達の御魂の慰めに桜の木を植えたいという

中山大使の提案をウズベキスタン政府は大変喜び、

日本人墓地のみならず、大統領官邸・ナヴォイ劇場・中央公園などに

合計1,300本もの桜の苗木を植えるという国家的大事業が行われたのです。



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【 「日本の兵隊さんのような人間になりなさい」】



麻生太郎氏がウズベキスタンを訪れた際

カリモフ大統領はこう語ったと、麻生氏自身が国会で発言されています。


「子どもの頃、毎週末母に日本人捕虜収容所に連れて行かれた。母親が私に言った台詞はいつも同じだった。

『せがれ、ご覧、あの日本人の兵隊さんを。ロシアの兵隊が見ていなくても働く。人が見なくても働く。

 お前も大きくなったら、必ず人が見なくても働くような人間になれ。』

おかげで母親の言いつけを守って、今日私は大統領になれた」




参考記事

『Japan on the Globe-国際派日本人養成講座』

http://www.mag2.com/p/news/172940?l=fid13b0c6e

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